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金融通貨委員会が9日基準金利を2%で0。25%ポイント上げた。17ヶ月ぶりの金利引き上げは金融危機に対応するための非常措置を正常に戻す'出口戦略'が始まったことを知らせる信号弾だ。私たちの経済は今年前半期に7%超えて成長してすでに正常軌道にのぼった。そのような側面で見れば今回の金利引き上げは遅い感がある。ある国恩行は景気(競技)をさらに浮かすように願う政治的圧力を取り払うことができなくて低金利政策を維持してきた。キム・チュンス韓銀総裁はこの日"下半期には消費者物価上昇率が3%台に進入する可能性があって、来年にははっきりと3%を越えると予想されて今対処するのが適切だ"とした。物価上昇圧力が危険水位に達してこれ以上金利引き上げを先送りすることができなくなったという説明だ。
 

日記1

しかし金利が上がっただけ家計・企業の利子負担が年間2兆ウォン超えて増えて、不動産景気沈滞がさらに深刻化される副作用が現れることができる。低所得層と中小企業の負担を減らして不動産取り引きの息の根を分からせてくれるなど景気上昇の傾向を維持する補完策が後に従わなければならないだろう。金利とともに為替レート政策にも合理性ある調節が必要だった。30ヶ月間の高為替レート政策で恩恵が輸出大企業にだけ帰って、建設業など内需業種と中小企業部門ではかえって資金圧迫を受けているという世論が侮れない。非常状況で増やした財政支出も正常軌道に回さなければならない。景気浮揚過程で大きく増えた中央政府と地方政府、公企業借金を管理するための財政部門の出口戦略がなければならない。税金徴収をむやみに増やせない程公企業民営化や持分売却を通じてまた近づくかも知れない危機に備えた財政収入(輸入)をあらかじめ確保する必要もある。マンデラ南アフリカ共和国大統領は1995年ラグビーワールドカップを誘致して白黒和合を成した。一方、国王の方に立って彼を守るために努力したロッシュフーコー-リアンクル工作はバスチーユ陥落二日前の7月12日に国王を訪ねて行ってパリの情勢が尋常でないと警告した。


日記2

南アフリカ共和国チームは予想外優勝を成し遂げて皮膚の色を離れて国民皆を一つで作った。マンデラの参謀は大会が開かれる直前"専門家たちが話すのを8強以上は難しいとのことです"と報告した。27年の間監獄に閉じ込められて奇跡的に大統領になったマンデラは"専門家たちが常に合うならば私たちはまだ監獄にあるだろう"と言い返した。▲サッカーでは'ペレの呪い'が'専門家の違った予測'を象徴する。南アフリカ共和国ワールドカップでもペレが指定したサッカー強国らがぞろぞろ落ちた。1990年代以後ブラジルサッカーはペレが強力な優勝候補だと目星をつける時ごとに苦杯をなめた。ゴールゲッターホマリウは"ペレは口だけ閉ざしていれば詩人"といった。'沈黙する姿がさらに美しい'という皮肉るということだった。1789年7月14日、パリ市民約8800人がバスチーユの前に殺到した。バスチーユは本来中世にパリ市を守備する城砦に建設されたが時間が過ぎながらパリ市自体が膨張したせいで市内真ん中に位置することになったし監獄で用途が変わった。

 

日記3

大慨は一般犯罪者らが受容されたが、禁止された本やパンフレットを印刷した出版のあるいは有名な文人らが閉じ込められたりもして、そうしなくても陰気な雰囲気を漂ったこの建物は自由を抑圧する専制政治の象徴になった。パリ市民らはこちらに閉じ込められていると信じていた自由の闘士らを救って同時に火薬と武器を奪取するために攻撃を敢行した。午後に守備隊の防御線があけられて市民らが性中に乱入して入った。守備隊が降参を宣言したが興奮した群衆らはこれを無視して守備隊長と何人の兵士たちを殺害した後これらの首をのこぎりで切って頭を窓(ウィンドウ)にさして通り(距離)を行進した。今日7月14日は革命記念日になった。革命当時の国王ルイ16世に関してはいくつかのエピソードらが伝えられる。彼はパリ市内から遠く離れたベルサイユ宮で過ごしていた。彼が当時の情勢に対して完全に無関心だったという訳には行かないが十分に注意を注がなかったことは明らかだ。革命が始まったその日、国王が書いた日記には'何もなかった(Rien=Nothing)'で記されている。ルイ16世はハンティングが好きだったがその日は獣を一匹も捉えられなかったという意という。